パパのこと、離れ離れ、そして週末親子

もう、あれから2年もたつねえ。
そして、あと10日もすれば、週末親子2周年記念だねえ。
あの時のことは、一部始終、2年経った今でも鮮明にママの頭に焼き付いている。
しかし、2年経った、6月の最終日の今日、なぜだか文字におこし再現しようと思い立った。
たいたいが6年生の5月。GW明けの日曜日。パパは突然たいたいとママを残してあの世へ逝ってしまった。
このGWはママが体調を崩し(持病の尿管結石)のため、入院していたため、連休中はたいたいとパパ男同士、
水入らず、うるさいママいらずの日々を過ごした。それが最後のたいたいとパパの大変貴重な時間になるとは。。
たいたいはどう感じていただろうか・あのめまぐるしいバタバタとした日々を。
周囲のみんなが心配したのはたいたいが精神的の不安定にならないかであった。幸い、いつもの生活ペースがくずれることはなかった。
本人はきっとなにか変化は感じていたのだろうが??
正直ママ自身のほうが、当初100倍くらい動揺して異常事態だったため、行事などはその時期できるだけ、レスパイトなどを利用させもらっていた。
今後の将来のことも考え、家族みんなで下したことはたいたいを寄宿生活させることであった。
これを決断するまでには、かなりの葛藤があった。
2ヶ月後、7月、たいたいは不二学園という知的障害児の入所施設で生活することになった。
入所の当日、お世話になった養護学校の先生に挨拶に行き、(先生は泣いてくれた)それから成田に向かった。これからなにが起こり、始まるかもわからず、
車にのっているたいたいであった。
あんなに食い意地のかたまりのようなたいたいが、到着寸前に昼食のために買ったサンドイッチをなかなか食べなかったことと、
帰り、一人で運転しながら、何年ぶりかにぼろぼろ涙が止まらなかったママのこと、この二つだけは今でも鮮やかに記憶に残る。
「大丈夫。週末ごとには会えるんだから。あと何日!」
「たいたい、もう寝たかなあ。今日の夕食は何だったんだろう?」
、仕事が終わって飛ぶようにたいたいのお迎え。座る暇もなく、ほとんど大声でどなりちらしながら、ご飯、お風呂、そして寝かしつけ、やっと寝たと思ったら、毎日夜中遅く帰ってくるパパのご飯の準備。そんなことの繰り返しが、皆無になってしまい、生まれて初めての孤独な夜、しかし自由な夜の日々が始まった。
さほど苦痛でもなければ、楽しいわけでもない。しかし、ある日無償に寂しさの襲われたりする。一人暮らしのひとは毎日こんなものなのか。
幸いなことに当時、大学で看護教員をしていたため、帰り時間を気にせず、仕事に没頭できたが、今、思い返してみると、必要以上に仕事をしていたかもしれない。
ただ、あの時、責任のある仕事があったあことが救いであったと感じる。
たいたいとはほとんど週末会っていたが、新しい学校にもすぐなじみ、不二学園でも結構スムーズに慣れていった。
これもひとえに、小学校時代のきららやヘルパーさんたちがとてもよくかかわってくれたおかげで、たいたいは周囲の人間のオープンなのである。
ママの力、かかわりでは到底無理である。他人様を信じる。そしてたいたいを信じる。毎日ママがそばにいなくても、だれとすごしていてもたいたいが幸せなら
それが一番!週末の会うたび、たいたいのニコニコ元気な顔!それを見るだけでほっとしたうれしい気分になっていくママでありました。
土曜日の午前中、お迎えにいくと、しゃべらなくても極上の笑顔で、ぴょんぴょん飛び跳ね、パンパンと手をたたき、全身で喜びを表現してくれる我が子。
この瞬間に毎週浸れる母親なんてそうめったにいない!なんて私って貴重な息子をもっているのでしょうか?
しゃべらないからわからないけど、ねえ、実際のところどうなのよ。たいたい!