保育園時代①10カ月からの5年間(彼女はたくさんいたね。たいたいのおかげでクラスのみんなは団結。そして成長。一役かったね)

たいたいは1歳になる前の10カ月の時から、市の保育園に通っていた。
もちろんそのころは、少しは行動がかわっていたものの、自閉症という確実なものは
まだなかったので、単純に私が仕事をしていたという理由で普通の保育園にした。
今の不二学園に入るのとは違い、保育園に預けることはたいたいにとってどうのこうのというのではなく
はっきりいって親の都合であった。
たいたいは、いまでこそ何時間でも歩き、いつも無意味に走り回っているが、寝がえりもハイハイも、
歩きだすのも普通に比べかなり遅かった。1歳3カ月たっても歩きだす兆候がなかったときは、さすがに
やきもきし、2歳になっても歩かなかったら車いすを購入しようとまで考えたが、幸い車いすは購入しないで済んだ。
丁度、1歳半になって歩き始めた。今思うと、みんなが歩き始める1歳ころには、たいたいはまだ、歩きたくなかった。
まだ、床にべったり座っていたかっただけのことで、こちらから周囲と比べ、遅いとやきもきするのは、大変たいたいに
失礼なことであった。したがって、保育園当初は、周囲がよちよち歩くなか、
ハイハイをするわけでもなく(そういえば、たいたいはハイハイをしたことがなかった)どっしり座っていた。
年齢が上がるにしたがって、周囲とたいたいの行動の違いがだんだんでてきた。
周りができることがたいたいはできない、そんなことがだんだん増えていった。
結局3歳半で自閉症と診断されてからは、担任の先生以外にたいたいには一人の先生が常につくようになった。
4,5歳ともなると、字を書いたり、絵を描いたり、みんながやっていることで、たいたいができることは
ほとんどなくなってしまった。だから、いつも端っこのほうで、たいたいだけ違うことをやっていた。
行事ごとや様々なハプニングについては後述することにするが、なにしろ人一倍手が掛る子だったので、
とくに世話焼き上手の女の子が(その時々で変わるのだが)常にたいたいの傍にいてあれやこれやと、
一緒に遊んだり、世話をしてくれていた。だからその子のお母さんには、お迎えなどで会ったときには
「うちの子がいつも○○ちゃんのお世話になってます」と言わなければならない。そういう意味でも
いろんなお母さんと交流は図れたし、数人のお母さんとは今でも交流がある。
たまに、スーパーなどで保育園時代のクラスメートの親子と遭遇すると、あの○○ちゃんがこんなに素敵なお姉さんになって・・
と、たいたいとの歴然とした差に非常に複雑な心境になったが(これも考えてみれば、そうとうたいたいに失礼である)
今では、あのころよく世話してくれたかわいい○○ちゃんが素敵なお姉さんに成長していることもうれしいし、ほほえましい。
そして、歴然とした差はあるものの、それなりに成長しているたいたいもこれまたほほえましいと感じる。
多分、○○ちゃんのお母さんもそれなりに成長したたいたいを、「たいちゃん、大きくなったね」と言って、ほほえましく思ってくれているだろう。
しかし、スーパーでおもらし対策用紙パンツを手にしていたときに会ったときは、さすがに後ろに隠してしまいたくなったが。
ある日、保育士さんから言われたこと。
{たいちゃんのおかげで、クラスのみんなは助け合うことや、世話をすることなどなど・・いろんなことを学んで、クラスが団結するようになったんです}と。親としてはなんとも喜んでよいのやら、これまた複雑な心境でした。
たいたいが、健常児とともに過ごした5年間は、本人はいつどんなときでもマイペース、やりたくないことはしない、
そして、いつも、時間外保育のときも一人の先生がびっちり付いてみてくれていたので、満足だったのか・・わからないが。
周囲の子にも大きな影響を及ぼしたことは、確かだろう。
今、そしてこれからも、あの時のクラスメートたち(今ではすっかりかっこいいお兄さん、素敵なお姉さんになっているだろう)が
お店や電車のなかで、奇妙な行動をしたり、奇声を発したり、くるくる回っていたりする人を見かけたら、
「そういえば保育園のときにこういう子いたあなあ」って、たいたいのことを思い出し、暖かく見守ってくれたらいいなと思わずにはいられない。