小学校時代 Yさんとの出会い(ママにとっては運命の出会い)

たいたいの小学校時代を支えた、大きな存在としてきらら以外に忘れてはならないのがYさんの存在である。
実はYさんとは縁あって、その後も付き合うことになり、現在、私とともに同じ福祉作業所兼障害児支援でかかわっている。
このことは、後述することとして、Yさんとの出会いについてまずは、話すことにする。
たいたいの通っていた養護学校は(ほとんどの養護学校がそうであるが)小、中、高等部が一緒になっている。
当時、役員で少しお付き合いがあった中学部の息子さんを持つお母さんと話す機会があった。こういった見方も偏見かもしれないが、彼女は障害児のお母さんという雰囲気はなく、とても元気でおしゃれで、いつも目立った帽子をかぶり、大柄な体に実にマッチした若々しいファッションで学校にきていた。
彼女の息子さんもたいたいと同じ自閉症。彼は放課後、週3回くらいヘルパーさんと過ごしていた。つまり、集団保育ではなく、彼ひとりの放課後をすごしていた。
今日は、プールの日とか彼に合った放課後の過ごし方をしていたらしい。
私はそれまで、障害児にヘルパーをつけることなんて知識としてもなかったし、思いつきもしなかった。
当時、たしかたいたいは4年生くらいだったと思う。
放課後は、かわらず毎日きららだった。きららは、障害児の子が小学部から高等部まで利用している。集団だから仕方ないが、一人ひとりがみんな自分に合った行動ができるとは限らない。
そうか、たいたいに一番合った放課後の過ごし方・・と考えると、集団生活も必要ではあるが、個別の自分だけに合った放課後ってのも必要かもしれない。
そのお母さんいわく「普通の子は年齢が進むにしたがって、部活や習い事などその子の放課後が広がっていく。だけど、うちの子みたいのは逆に狭くなっていくのよ。」
「だから、○○にあった行動をヘルパーさんに1対1でついてもらって、過ごしてるの。プールが好きだから、何曜日はプールの日って決めて」
そうか、きららは楽しいかもしれないけど、たいたいの行動や好きなことが十分ひろがるとは限らないか??
そこで、たいたいの1週間の放課後スケジュールを組むことを考えた。
まず、週5回だったきららを週3回にし、週2回はヘルパーをたのんで、たいたいに合った時間をすごす。
さっそく、ヘルパー委託を探した。当時、ヘルパー委託業者は高齢者を対象としたところがほとんどであったが、そのお母さんの紹介で障害児を見てくれるヘルパーを依頼することができた。
多動で体力もあるたいたい。できるだけ体をつかった活動をしてもらいたかったし、今後の男の子としての成長も考え、できれば若い男性ヘルパーを頼みたかったが、当時も今もヘルパーさん不足の状況もあり、担当として初めにきてくれたのが、ママより少し若いくらいのきれいな女性だった。それがYさん。
Yさんはおどろくほど、たいたいの状況を話すと、とても前向きにしかもスムーズに理解してくれ、早速支援が開始された。
たいたいに関わってくれたのは、Yさんと同年代の女性ヘルパー4名だった。
放課後、バス停までお迎えに行ってくれて、歩いて自宅まで帰り、荷物をおいて、おばあちゃんが準備したおやつを食べたらすぐ出発。行く場所はちかくの公園、小学校のグランド、学習センターなどだった。そのころのたいたいは相変わらず多動で、手をつないでいてもふりほどき、突っ走っていってしまう。外での車や信号での配慮もほとんどなかったし、近くに興味のある若いお姉さんがいようものなら、突進していったし、お店が近くにあろうものなら、店に入って勝手になんでも店のものを食べてしまう始末だったので、女性一人ではかなり厳しい。私は母親なのでどなったりしながらも、強引の手をつないで行動していたが、Yさんいわく、危険が回避できない。危険防止ばかりにとらわれて、落ち着いてたいたいを見ることが厳しいという理由で、結構、なんと贅沢にもたいたい一人に女性ヘルパー2人という体制をとることになった。
Yさんがたいちゃんのためにもどうしても二人体制にしてほしいということであった。料金が倍かかっても、たいたいになにかあったら困るし、それより他人の迷惑になっても困る。たいたいだけに合った放課後、たいたいの放課後を広げ充実したものにするにはそうするしかない。ということで、6年生になるまでの約2年間、たいたいは二人のヘルパーさんと過ごした。彼女たち4人はまるで我が子のようにたいたいをかわいがってくれ、たいたいの視点で放課後を付き合ってくれた。それだけでなく、うれしいことに外でのマナーや、お買いもの、社会的なことを実に多く学ばせてくれた。当時、私よりずっとたいたいの特徴や行動を理解していたと思う。もちろん、本気でかわいがってくれる人には、たいたいも正直なのでとても懐いていた。
そうやって、小学部後半のたいたいの放課後は広がり、きららとヘルパーさんのおかげで、たいたいなりに社会性やコミュニケーション能力も広がった。
母親の私はなにをやっているかというと、どたばたと毎日のように大声でどなりちらしながら、夕食を作り、食べさせて、寝かしつけて、明日の準備をする毎日だった。それでもそのころはいっぱいいっぱいであった。
Yさんたちは、おもいきりたいたいをかわいがってくれたが、怒ったり、親のように厳しくも接してくれた。
Yさんたちを通して、私ははずかしながらも、我が子の知らない面がたくさんあることを知った。Yさんたちは母親である私以上にたいたいの好きなこと、きらいなこと、なにかを食べればずっと夕方まで機嫌がよいこと、スキップが好きなこと、高いところが好きでジャングルジムはすいすいと上までのぼってなかなか下りてこないことなどを知っていた。
どうして、他人の子の対してこれだけ親身になれるのか、本気になってたいたいのこと、私のことを考えてくれるのか、不思議なくらいだった。
私の人生、彼女たちに出会えたこと、そして、たいたいも彼女たちと過ごせたことは一緒の宝物です。
実は、あとで知ったことですが、Yさんの息子さんんも障害をもっており、たいたいとは逆で知的には問題なく身体の障害なので、どこまでも歩くたいたいがうらやましく、だから、いろいろ歩いて、体を使う遊びをいっぱいいっぱいしてくれたらしい。よく「たいちゃんは、いろんなとこに行けていいね」って言っていた。
生きているうちに、いつかはYさんのお礼をしなければ・・(じつはこれが、信じられないことに達成できるのです。ママはYさんの息子さんを支援することになるのです。このことに関しては、先のことなので、別口で後述することにします)
それもこれもたいたい。あなたはつきのいい男だと思うよ。あんたも周りのは、なぜかひとが集まり、あんたを幸せに一生懸命してくれるよ。これも親がたよりないから、神様がそうしてたいたいの周りにいい人いっぱいよせてくれてるんだよね。きっと。