中学入学(蠅も舞う田園風景)

たいたいの小学校6年間は、本当に多くの人に助けられ、支えられた。
養護学校の先生は、なんでも相談に乗ってくれ、どの先生もとても親身に関わってくれた。
その親切さに甘んじて、私は担任がかわっても、以前の担任の先生にいろいろな相談もさせてもらい、何人かの先生とは今もお付き合いさせてもらっている。
それと、きららの指導員さん、ボランティアのお姉さんたち(たいたいが大好きだったなあ)、Yさんをはじめヘルパーの4人の方たち、そのほかにも、お世話になったレスパイトの職員などあげたらきりがないくらい。そして、だれもが、たいたいを本当にかわいがってくれ、よ〜く面倒みてくれたものだ。
また、近所の人、よく行く、コンビニやスーパーのレジのおばさんたちも、いつもまにかたいたいのことをよく覚えてくれ、道やお店でも「大きくなったねえ」とか、私一人で歩いていようものなら、「あら、今日は、僕はいないの」というように、やはりどこでも目立ち、インパクトが強いのであろう。
だから、私もいろいろなところで、実に多くのひとにしょっちゅう声をかけられるのだが、正直挨拶はするものの、いつの。どの知り合いだったか覚えていないことが多いほどである。(へんなことはできない。ちょっとした近所でもへんな格好をしていては、まずいのである)
たいたいも、私も実に多くの人と関わることができた6年間であった。
それが幸いしてか、中学入学に関しては、環境の変化などにとまどうことなく、クラスや担任にもスムーズに慣れ、穏やかに学校生活を始めることがができたたいたいであった。本当にありがたい。
たいたいの中学校は富里にある特別支援学校。周りには、何もなく、広い敷地の田園風景のなかに、広々と立っている校舎である。
初めに行った時、この田舎さに感動し「こういうところでたいたいを学習させたい」と感じた。
正式にいうと、6年生の7月から、成田の不二学園に入所したので、その時からこの特別支援学校に通っているので、本人としては環境の変化はなかったと思う。
学校では、相川かわらず、みんなが着席しているのに、ひとりあっちふらふら、こっちふらふらしてはいるが、教室からでることがなくなったというだけで、十分成長している。小学校のときは、朝来るなり、学校中を散歩してから教室にもどり、やっと落ち着く。クールダウンが必要であった。
中学部の先生から、「たいちゃん、クラスの波に乗っています」と。そうか、波に乗れるようになった。今までは、波に片足をつっこんでは出し、思考錯誤だったんだろうね。
そうこうするうちに、もう中学生活も半分過ぎてしまった。
しゃべらないし、字も日記も書けないし、やっている学習内容は小学校のときとそれほど大きな変わりはないが、生活習慣や社会性、集中力といったものは確実についてきている。これからもどんな成長するのか、期待はしないけど楽しみにしてるよ。