{たいたいと} ①昨年は・・

この1年で、みるみる大きくなったたいたい。週末ごとに遭っているのに先週より、また背が伸びたかなと毎週感じるこの頃。
1月。たいたい。身長157.4㎝。体重39キロ。足26.5㎝。たくさん食べているけど、いつもぴょんぴょん飛び跳ねているせいか、体重はそれほど増えないなあ。
思い起こせば、あの震災から、はや10カ月が過ぎた。
被災地では親子の行方も分からない、幼い子供を亡くしたなど、心が痛む出来事ばかりであった。
現地の自閉症の子の状況は??なにもできないけど気にはなった。
記事によると、避難所での集団生活に適応できず、車のなかで周囲に迷惑をかけないように過ごす自閉症を持つ家族。
震災当日、私は、帰省のため迎えに行ったが、状況を察知し、たいたいはそのまま学園に戻した。
その選択は今でも正しかったと思う。現にその日は私は帰宅難民となり、成田市役所の避難所で一泊した。こんなところでもし、たいたいも一緒だったらと想像するだけでもぞっとする。
その後、連続する余震のたびに私だけでなく、ほとんどの国民は、生命の危機みたいなものを感じていたに違いない。
週末が待ちどおしかった。交通機関がどおであれ、余震がどおであれ、たいたいと過ごすようにした。
なにかあっても、一緒であればあきらめはつく。でも、たいたいは学園で、私はこっちでばらばらに死んでしまうのはあまりにも悲しい。
平日の1週間は仕方ないけど、その1週間の長いこと。大丈夫なのは分かっているのに、安否確認のごとくひつこく1日おきくらいに、または余震が送りたびに学園に電話し、大丈夫ですかと電話する迷惑な親である。大丈夫じゃなかったら連絡くるよ。こういうときは家で私といるより、きちんとした施設にいるほうがいくらか、安全か。
幸い(とういか予想どおり)たいたいは、相次ぐ余震や、停電など異常事態に不安やパニックを起こすことなく、いつものマイペースで過ごしてくれていた。
明日は何がおくるかわからない。そんな毎日を過ごす日本全体だったあのころ。
今だって、この寒さの中、仮設住宅の人たちは、厳しい生活を強いられている。
なにひとつ力にもなれない私ですが、寝るところと食べるものがあって、つくずく幸せに感謝せずにはいられません。
今日のような、寒くて雪が降っていたりすると、たいたいしもやけできてないかななんて、いらん心配をしてしまうのですが、な〜に、元気に飛び跳ねてるではないか。
あ〜、この安堵感のために、今年も雨でも雪でも、風でも週末親子を続けるぞ。
さあ、来週はどこでなにを食べようか。
年が変わっても、たいたいの身長がすこしずつ伸びてること以外に、なんの変化もなく、ただ同じことを考え、変わり映えのない行動ができることの幸せ。
今年1年もどうか、穏やかで少しでも平和な1年でありますように。